霞翠小学校(大川信也校長、70人)でこのほど創立150周年記念式典が開かれ、卒業生や地域住民が参加した。セレモニーは6年生18人による壮大な「壱州荒海太鼓」で幕を開け、同校の歴史を映した記念動画が放映された。
記念表彰は、150周年記念スローガンの「カスイのわをひろげよう」を考案した村井奏太さん(2年)、キャラクターデザインの「かす丸くん」を発案した大津颯斗さん(2年)に最優秀賞が贈られた。
記念講演は、同校第51回卒業生のボートレーサー、下條雄太郎選手(38)を講師に招き「今から夢をかなえていく霞翠っ子たちへ」のテーマで行われた。
下條選手は自己紹介やボートレーサーの仕事について話した後「4月1日と学年で一番生まれが遅く、霞翠小に入学した時には身長が100㌢しかなく、前へ習えはいつも一番前。その後もあまり大きくならず、中学1年で137㌢だった。将来は父の経営する電気店を継ぐ予定だったが、この小柄な体を武器にできる仕事もしてみたいと思った。小学校の卒業文集に将来の夢は『ボートレーサーになること』と書いていたので、高校卒業時に『1度だけ』と父にお願いして、ボートレーサー養成学校を受験したら、合格することができた。レーサーになって19年目で、年間200日以上は家を空けるなど大変さはあるが、生涯獲得賞金は5億円を突破し、先日G2競走を勝った賞金は460万円だった」と夢をあきらめないで挑戦したことがいま実を結んでいることを話した。
さらに「壱岐で過ごした子ども時代の経験が、すべて今に生かされている。野球部や柔道部では体幹を鍛えることの重要さ、勝ちたい気持ち、きちんとしたあいさつなどの礼儀を学んだ。多くの人と出会って支えてもらった。うまくいかないことも多くあったが、失敗から学ぶことがたくさんあった。父、母、家族に本当に感謝している。みんなも、今のうちにもっと勉強やスポーツをしておけば、将来の夢の選択肢が増える。急に違うことがしたいと思っても柔軟に対応できるようになる。いろいろなことにチャレンジして、失敗をしてほしい。失敗しないでうまくいくことなんてないものだ」と子どもたちの夢実現を応援した。
質問コーナーでは児童から「ボートレーサーになって良かったと思ったのはどんな時ですか」と聞かれ、下條選手は「やっぱり大きなお金を稼げることは大きいし、勝った時はファンや周囲の人が一緒に喜んでくれるのも嬉しい。仕事以外の時間も作りやすいので、スポーツをしたりなどサラリーマンとは違った趣味にも打ち込める」と答えた。
セレモニー終了後は下條選手も子どもたちと一緒に屋外に出て、バルーンリリースで母校の創立150周年を祝った。