壱岐高野球部のセンバツ甲子園へ向けた戦いが26日から始まる。人口2万4千人の離島の公立高校で、ベンチ入り選手は全員地元出身。野球留学はおらず、逆に中学時の有力選手は島外高校に進学するケースも多くある。地理的に他校との練習試合は限られ、壱岐商の部員不足で同校との練習試合も少ない。そんな厳しい練習環境を克服し県大会準優勝。県離島初の九州大会出場を決めた時点で、すでに大偉業だと言える。
それに対して九州大会に出場する16校中13校は私立で、公立は他に育徳館、佐賀北のみ。私立には全国から有望な球児が集まっている。特に2回戦で対戦の可能性があるエナジックスポーツ(沖縄)は野球とゴルフのスポーツ専門校のような高校で、ほぼ全校生徒が寮生活で午後の授業はスポーツのみ。創設3年目ながら今年の県大会は春優勝、選手権準優勝、秋準優勝の輝かしい実績を残している。
公立高校の甲子園優勝は1990年代以降、夏は佐賀商(94年)、松山商(96年)、佐賀北(07年)、春は観音寺中央(95年)、清峰(09年)がある。公立でも野球部活動に力を入れている学校もあるが、予算や設備では私立に及ばない。だが高校野球は投手が四死球を出さず固い守備をすれば、スター選手がいなくても勝ち抜く試合は数多い。
北海道のスポーツ新聞社の記者時代に、駒大苫小牧が3年連続で夏の甲子園決勝に進出し取材した。05、06年は田中将大投手という超高校級投手の力が大きかったが、04年の初優勝時は田中投手は1年生でベンチ外。年間4か月近くグラウンドが雪で覆われる厳しい練習条件を克服し、私立だが多くが地元選手でスターはいなかったが、横浜・涌井投手らを軽打で打ち崩し、犠打を多用、エラーも少なく優勝旗が初めて津軽海峡を渡った。
いまの壱岐高を見ていると当時の駒大苫小牧を思い出す。選手は自力の甲子園を目指しているが、21世紀枠でも十分に誇れる。何としても甲子園出場切符を掴んで欲しい。