一支国歴史講座が4月27日、原の辻遺跡の王都復元公園内であり、市教委社会教育課文化財班の松見裕二課長補佐が原の辻、カラカミ、車出の壱岐3大弥生遺跡について説明した。
講座は、日本遺産である壱岐の魅力を知ってもらおうとNPO法人一支國研究会が毎年開き、今回は市民約15人が参加した。
今年のテーマは「一支国を構成する弥生集落の現状と課題」。松見さんは、弥生時代前期(約2200年前)から約6百年続いた原の辻の弥生集落の変遷を6期に分けて解説。集落形成から3百年が経過した4期に環濠と船着き場が埋没していることを示し、「なぜなくなったのか解明することが課題」とした。
その上で、船着き場跡に残った土が地形に合わせて溜まっていることを指摘し「(集落の)全部が一気になくなるということは、大水害が考えられる。幡鉾川から内海湾に流れるが、土砂崩れが起きると堰き止められて水没したことが考えられる」などと考察した。
そしてその後、集落の人がどこに行ったのかという疑問については「南側にこの時期の墓が見つかっており、少なくとも人がいたということで、原の久保地区に移っていたことが考えられる。現在(同地区の)発掘調査をしており、今後に注目してもらえれば」とした。
そのほか、車出遺跡から発見された磁石付きの謎の鉱物については、「うまく加工して自分たちで鉄の材料から作っていたということが証明できた暁(あかつき)には、弥生時代は鉄を作れず輸入して加工するしかできなかったという歴史の定説が大きく変わることになる」と期待をにじませた。鉄の材料から生産されていたことが証明された場合、鉄生産の始まりが、古墳時代のたたら製鉄から約5百年さかのぼることになるという。同遺跡の調査は令和12年度まで実施される予定。
最後に「原の辻遺跡は商業地、カラカミ遺跡は工業地。車出遺跡は政治の拠点ではないかというのが現時点での一支国の考え方」とし、車出遺跡の解明が今後の課題とした。
参加者からの質問の時間もあり、「壱岐に弥生時代の大きな集落はどれくらいあるか」との問いには「登録されている弥生遺跡は島内に60か所あるが、現時点で環濠を持つような大きな集落となる4つ目の候補となる遺跡はない」とした。