第1回壱岐ウルトラマラソン(同実行委員会主催、レオパレス21特別協賛)が2日、壱岐島一周特設コースで開催され、100㌔に344人(男304、女40)、50㌔に211人(男155、女56)の計555人が出場した。心配された秋雨前線、台風の影響はなく快晴の天候で行われたものの、芦辺測候所では10月の観測史上2番目の高温となる28・3℃を記録する厳しい残暑が選手を苦しめた。完走率は100㌔48%、50㌔54%のサバイバルレースとなったが、24時間マラソンで3年連続日本代表となっている楢木十士郎さん(40=福岡)は男子100㌔を7時間52分53秒の好タイムで、2位に34分以上の差をつけて圧勝。記念すべき第1回大会で、ウルトラマラソンの魅力を島民に見せつけてくれた。(関連記事は4面)
「ウルトラマラソン界の超人」はケタ違いのスタミナとクレバーさを見せた。
出場選手全員にとって初コースとなる壱岐島一周特設コース。100㌔マラソン未経験者も多く、ペース配分が明暗を分けた。スタートから先頭集団を形成してレースを引っ張った地元期待の川下和明さんら30歳代の3人は、オーバーペースが後半に影響した。レース前から足に不安があった川下さんは40㌔過ぎで棄権。前半はずっと先頭を維持した古賀慶彦さん(佐賀)も折り返し点を過ぎると急に減速した。
楢木さんは1㌔4分20秒前後のペースを守り、序盤を5~6番手集団で進み、失速した選手を徐々に交わしていく。折り返し点の壱岐島開発総合センターに到着した時点ではトップの古賀さんと2分差だったが、エイドステーションでの休憩を2分程度で切り上げて、古賀さんの直後に再スタート。すぐに先頭に躍り出ると、あとは独走になった。
全コースが平坦なサロマ湖では6時間台、隠岐の島では7時間台前半のタイムが出ることがあるが、壱岐のコースは全国屈指のアップダウンの激しさ。当初の予想ではトップのゴールは8時間半程度と予測されていたが、楢木さんは7時間台でゴールした。
レース直後も立ったまま、ケーブルテレビ、新聞各社のインタビューに「1㌔ごとの子どもたちが作ったのぼりが、最初の『あと99㌔』には苦笑いの気持ちだったけれど、1㌔ごとに力になってきた」と笑顔で答える余裕を見せた。
「ウルトラマラソンというのは、練習量とレースプランである程度の結果は見えるもの。私の専門は24時間マラソンで、100㌔はまだ2回目。スピードでは100㌔専門の人に負けるが、持久力には自信があり、コース図から7時間半程度のゴールを予想してペースを作った。前は飛ばし過ぎだったので、必ず落ちてくると思っていたから、後ろからよほど元気な人が追ってこない限り、前半で勝てる手応えはあった」と自信を持ってレースを進めた。
楢木さんは24時間マラソンで3年連続日本代表に選出され、平成25年オランダ、27年イタリアの世界選手権に出場(26年は開催中止)した超人ランナー。だが学生時代から陸上競技をやっていたのではなく、運動を始めたのは30歳になってメタボが気になってきたのがきっかけだった。
31歳で初挑戦したフルマラソンで3時間18分をマークし「これは自分に向いている」と思ったのだから、天性の素質もあったわけだが、人間は誰でも、いつからでも「挑戦」ができることを身をもって示した。
その楢木さんの「あきらめない気持ち」と「十分な準備をすれば絶対に勝てる」という強い信念は、人口減少の波に立ち向かう壱岐が始めた第1回壱岐ウルトラマラソンに、貴重な足跡を残した。