小学校2年から高校卒業までを疎開先の壱岐で過ごした画家・イラストレーターの長岡秀星さん(昨年6月死去、享年78)が遺した最古の未発表作品がこのほど、本市で発見された。長岡さんと壱岐高校時代に同級生だった郷ノ浦町在住の篠崎学さん(79=元新聞社社主)の自宅で見つかった油彩の女性肖像画(1955年以前作、縦47㌢×横36㌢=額装込み)で、長岡さんのサインが入っている。篠崎さんは同作品を壱岐市に寄贈した。一支国博物館は11月29日までが会期だった開催中の「追悼展 長岡秀星」を7日まで延長し、同作品を展示している。
長岡さんの作品は、1970年に米国・ハリウッドでアートスタジオを設立した後のものは多く残されているが、それ以前のものは数少ない。原画があるのは59年の「学習百科断面大図鑑」(講談社)がこれまでの最古だった。
長岡さんが画家・イラストレーターの道を進むきっかけとなった高校3年時(55年)のイラスト「原子力旅客機」(小学館「中学生の友」掲載)も原画は残っていない。また長岡さんの油彩画の作品もこれまで他には見つかっていない。
一支国博物館の須藤正人館長は「現時点で最古であること、初めて発見された油彩画であることから、歴史的な発見と言える。長岡さんの作品には公式の鑑定機関がないが、所有者が高校の同級生で証言があり、『S.Nagaoka』とサインが入っていることからも、真作であることはまず間違いない。長岡さんが壱岐に残した作品を、ぜひ多くの人に観てもらいたい」と追悼展の会期延長を決めた理由を話した。
作品は、長岡さんと壱岐高校で同級生だった篠崎さんが当時贈呈されたもの。「長岡はあまり友だちを作るタイプではなく、私がもっとも親しくしていた一人だったと思う。どのような理由でこの絵をくれたのかはよく覚えていないが、高校卒業後は一度も会っていないので、もらったのはおそらく3年生の時だったはず。絵を描くのが好きなことは知っていたが、まさかその後、世界的な画家になるとは思ってもいなかった」と篠崎さんは高校時代を振り返った。
作品は篠崎さんの自宅書斎に、壁に立て掛けて置かれたままになっていた。「長岡の絵があることは認識していたが、それほど珍しいものだとは思っていなかった。博物館で長岡秀星展を開催していたので、一応、相談してみようと電話をして、最古の作品だと判った。驚きました」と話し、多くの市民に観てもらえるように市への寄贈を決めた。
一支国博物館の河合恭典学芸員は「放射線、赤外線で調査したところ、油彩の下に髪の毛など詳細なデッサンが描かれており、長岡らしさが感じられる作品だ。モデルの女性は不明だが、セーラー服の色などから当時の壱岐高校生徒ではないと思う。外国人のようにも見え、雑誌などのグラビアから女優さんなどを描いたのかもしれない」と分析している。