江戸時代中期に東河庄野村(現在の兵庫県朝来市)から壱岐に島流しになった祖父・小山弥兵衛に会うために、出家して壱岐まで旅した尼僧・全鏡(通称・おいき)の足跡をたどろうと、朝来市和田山町東河地区の住民らが4月28日から取り組んできた「おいきの旅~歴史を歩こう、遥かなる壱岐へ~」(歩く壱岐実行委員会主催)の一行20人が、10月27日に本市に到着した。メンバーを交代しながら、土日曜を中心に実質27日間で計611㌔を歩き、半年がかりで目標を達成した。平成26年にパートナーシップ宣言、27年に友好都市提携を結んだ壱岐市と朝来市の絆がさらに深まるイベントとなった。
当初は9月29日に本市に到着する予定だったが、台風接近のため延期。改めて10月27日に博多から再スタート。ジェットフォイルで郷ノ浦港に到着すると、今年8月の定期公演で「旅・はるかなる壱岐~小山弥兵衛を救え~」を上演した劇団未来座・壱岐のメンバーが舞台扮装で出迎えた。小山弥兵衛役の土肥正史座長が埠頭で待っているところに、一行からおいきの衣装を着た小山沙登美さん(35)が船から降り立ち抱き合い、2人が感動的な対面を果たすシーンが港を舞台に演じられた。土肥座長は「劇場で演じているのとはまったく違う雰囲気の中で、約230年の時を経た2人の感激の対面シーンとなった。乗船客らも観てくれて、壱岐市と朝来市の結び付きの歴史に興味を持ってもらえたのではないか」と話した。
一行はその後、弥兵衛が壱岐で過ごした見姓寺の跡地に建つ見姓寺堂(芦辺町箱崎大左右触)までバスで移動。そこから弥兵衛の墓(芦辺町箱崎本村触)まで約3㌔を「おいきの旅」ののぼりを掲げ、「何しとってん? 壱岐まで歩くんや わっとろしゃ!(但馬弁で『驚いた』)」とプリントされたおそろいの黄色のTシャツ姿で歩き、弥兵衛の墓に到着を報告。半年にわたる旅を終えた。また一行は、弥兵衛の墓を長年守ってきた鬼凧づくり職人の平尾明丈さん(89)に、4月の出発式で全鏡が修行したと伝わる桐葉寺(朝来市山東町)から託された観音像を贈った。
同実行委員長の濱信雄さん(67)は「皆の協力でゴールでき、壱岐との絆がより深まった。いまでこそ、地図や様々な情報があるが、当時は道も判らず、泊まるところも簡単には探せなかったはず。壱岐へ渡る船の中でも長時間、船底に隠れていたらしい。おいきさんは何度も挫折しかかったと聞く。どれほど過酷な旅だったのか、1人でこの距離を歩いた全鏡さんの苦労と偉大さを改めて感じている」と達成感に満ちた表情を浮かべた。おいきの衣装で参加した小山さんは「弥兵衛とおいきの物語、壱岐市と朝来市のご縁を、帰って多くの人に伝えたい」と話した。