唐津海上保安部(西分竜二部長)は149周年灯台記念日の1日、壱岐海上保安署で灯火監視協力者へ感謝状を贈った。第七管区海上保安本部長表彰の対象となったのは、郷ノ浦町大島沖の航路標識「千代ヶ瀬灯標」を平成14年から15年以上にわたって灯火監視協力をした同町長島の西村清春さんだったが、西村さんは表彰が決まる直前の今年7月に、病気のため70歳で死去。表彰式には夫から灯火監視業務を引き継いだ妻・スナ子さん(66)が出席し、感謝状を受け取ると感激と寂しさで目を潤ませた。
夫に代わって感謝状を受け取ったスナ子さんは「このような賞を頂けるのは本当に名誉なことですが、できれば生きているうちに、この賞を主人に受け取ってもらいたかった」と夫の遺影を胸に、夫婦での日々を思い出した。
清春さんは昭和41年からフェリーみしまの船員として勤務し、昭和58年からは船長を務めてきた。千代ヶ瀬灯標が点灯された平成14年1月から退職する19年3月までは、視界の悪い悪天候時などはこの千代ヶ瀬灯標を頼りに、三島地区島民の生活の足を無事故で運航し続けてきた。
この灯標を仕事で毎日利用していたことに加え、長島の自宅から見える位置にあったため、初点灯時から灯火監視業務を受託。平成24年11月に「10年以上」となり唐津海上保安部長感謝状を授与され、今年1月には「15年以上」となり、第七管区海上保安部長表彰の対象となった。今年の表彰が決まり、西村さんの自宅に壱岐海上保安署から電話連絡があったのは、亡くなった約1週間後の7月下旬だった。スナ子さんは「仕事を終えて一杯飲んで、寝る前に灯火を確認することが、夫婦の日課になっていた。退職後は旅行に行くこともあったが、必ず知り合いに灯火の確認を頼んで出かけていた。胆管ガンを患い入院している時も、いつも灯標のことは気にしていたし、自宅で療養している時は私に“見ておいで”と告げて、任務を忘れなかった」と清春さんの律儀な仕事ぶりを振り返った。
清春さんの死後は、スナ子さんが灯火監視業務を引き継いだ。「家から見えるので、私でも務まるかと思って引き受けた。毎晩、灯火を確認するたびに、夫のことを思い出してしまう。私が引き継いだことを、きっと夫も喜んでいると思います」。スナ子さんが灯火監視を継承した千代ヶ瀬灯標は、清春さんの後輩たちが運航するフェリーみしまを、多くの漁船や貨物船を、そしてスナ子さん自身を、今後も照らし続けていく。