市立壱岐市民病院が長崎県病院企業団(米倉正大企業長)に加入したことに伴い、「長崎県壱岐病院」(向原茂明院長)として1日、開院。入口に設置された「名称表示塔」の除幕セレモニー、市内ホテルでの開院式が行われた。今後は県と6市1町で構成する特別地方公共団体(一部事務組合)の県病院企業団が、他の11施設とともに運営し、地域中核病院として機能強化を図る。
開院に先立ち、3月31日に壱岐市病院事業事務引継式が市役所郷ノ浦庁舎で行われ、白川博一市長、米倉企業長がそれぞれ引継書に署名を行った。企業団加入を2012年市長選から公約の「一丁目一番地」と標ぼうしてきた白川市長は「壱岐市の念願が叶った日だ。しっかりとした組織の下、壱岐医療の質・量とも大きな発展が期待できる」と感無量の表情を浮かべた。
1日は米倉企業長、向原病院長が記者会見を開いた。赴任から2年間で目標の企業団加入を果たしたことについて向原院長は「私を含めて医師5人増員ができたこと、招へいした米城和美看護部長がスタッフ1人1人を束ねてくれたこと、医師がおらず赤字の時期に何もできなかった職員が、態勢が整ったことで本来のモチベーションを発揮できたこと、この3点が大きかった」と振り返った。
米倉企業長は「向原院長の人柄が大きかった。地元医師会との連携をうまくやってくれた。企業団は長崎大とは長く付き合っているが、壱岐では九州大、福岡大、久留米大の3大学との連携をうまくやってくれている。その結果、年間2億円の赤字だったものが、1年目から1億2千万円の黒字に転換した。彼がいなかったら、私も壱岐の企業団入りを引き受けていなかったかもしれない」と向原院長の手腕を高く評価した。
今後の改革として向原院長は「重要なのは連携だ。地元病院との地域連携ももちろんだが、収益を考えれば島外病院との連携も必要。例えばガンの場合、5~10年間の治療が基本になっている。壱岐で早期発見初期治療を行い、手術・放射線治療などの高度医療は島外、その後の継続治療は再び島内で行うシステムを作りたい。そのために10月から導入予定の電子カルテが大きな武器になる。あじさいネットを福岡と結ぶことが次の夢となっている」と語った。
あじさいネット(※)について米倉企業長は「現在のあじさいネットは13年前、向原院長が長崎医療センター勤務時代に発案者の一人となったもので、彼はノウハウを持っている。福岡と県をまたいだ連携ができれば画期的で、企業団としても応援していく」と後押しを約束した。
電子カルテ、あじさいネットに関しては壱岐医師会でこれまでに3回の勉強会を実施しており、国も地域包括ケアへの補助金を検討している。「補助金が決まれば一気に導入が加速する。在宅医療にも導入できれば、壱岐はモデルケースとして全国的にも注目される」と向原院長は「壱岐」を全国へ売り出すチャンスとも捉えている。
今後の具体的な診療体制については、常勤医不在だった外科に、4月から九州大第2外科から1人が常勤として派遣されている。「計画は2人態勢。予定手術は応援の医師が来るので1人でも対応は可能だが、1人だと医師の精神面での負担が大きい。適切な人材が見つかり次第、早ければ年度内にも2人態勢にしたい」とまずは外科の充実に着手する。
※あじさいネット 長崎地域医療連携ネットワーク=他の医療機関から患者の同意のもと、インターネット経由で中核病院のカルテ情報を診療利用するシステムで、現在利用できる医療機関は270機関。
【県壱岐病院沿革】
▽明治28年 壱岐郡立病院として武生水村に創設。
▽大正12年 郡制廃止に伴い壱岐公立病院に名称変更。
▽昭和19年 日本医療団に移管、日本医療団壱岐病院となる。
▽同23年 壱岐郡町村組合設立、公立病院として移管を受ける。
▽同41年 壱岐郡町村組合立准看護婦養成所設置(昭和55年廃止)
▽同43年 県離島医療圏組合加入を町村組合議会が否決
▽平成17年 壱岐市民病院と名称変更し、郷ノ浦町東触桜川地区に新築移転
▽同23年 精神科医師派遣中止により精神科病床休床
▽同24年2月 市長、市議会議長が県知事へ企業団加入を要望
▽同25年3月 4階病棟を療養型病棟へ改修
▽同4月 かたばる病院と機能統合
▽同26年9月 県病院企業団への加入について構成団体が了承
▽同27年4月 県病院企業団へ加入
◆県壱岐病院概要 ▽診療科目=内科、消化器科、循環器科、呼吸器科、外科、小児科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、整形外科、精神科、皮膚科、泌尿器科、脳神経外科、放射線科、リハビリテーション科、麻酔科▽病床数 228床(一般120、療養48、精神50、結核6、感染4)▽診療曜日 月~金曜日▽受付時間 午前8時~午前11時(急患を除く)▽診療時間 午前8時半~午後5時15分