
原の辻遺跡の国特別史跡指定25周年を記念したシンポジウム「原の辻遺跡と西日本各地の弥生集落遺跡との交流を探る」(市など主催)がこのほど、一支国博物館で開かれ、大阪府立弥生文化博物館の禰冝田佳男館長が講演した。
禰冝田館長は原の辻遺跡で見つかっている「船着き場」について、「突堤の幅が8㍍と幅が広く、類例が少ない。幡鉾川を大型船が遡上するのは難しいと考えられる」とした上で、側溝を伴う道路遺構が見つかっている点を指摘。「中国の使節の人々を受け入れようと思ったら、しっかりとした道で迎え入れる必要がある。内海湾のどこに停泊して、原の辻遺跡まで行ったのか、今後調査していただきたい」と希望した。そして「これからは人口減少社会で、若い方々は我々にない考え方でやっていただきたい。行政だけでなく地域の方の参画が不可欠で、25年先を見据えてトップランナーとして走り続けてほしい」と激励した。
続いて岡山、鳥取、福岡県糸島市の研究者がそれぞれの研究成果を紹介。岡山県古代吉備文化財センターの河合忍課長は、原の辻遺跡の船着き場と同じ敷粗朶工法で作られた上東遺跡の波止場状遺構を説明し、原の辻遺跡や車出遺跡、糸島の遺跡で吉備系や讃岐系の土器が見つかっていることを挙げ、「岡山から関門海峡を通り、糸島を中継地とした繋がりに吉備の人も入れてもらい壱岐に来ていたのではと考える。その中で波止場状遺構などの高度な土木技術も手に入れて作ったのでは」と話した。
最後には登壇者によるパネルディスカッションもあった。



























