第3回神々の島・壱岐ウルトラマラソン(同実行委員会主催、レオパレス21特別協賛)が20日、壱岐島一周特設コースで開催され、100㌔に448人、50㌔に207人、昨年より46人多い計655人が出場した。一昨年は気温28・3℃を記録する季節外れの高温、昨年は台風の接近で最大瞬間風速19㍍を記録する強風に選手が苦しめられたが、今年は最大瞬間風速9・7㍍とやや強かったものの、気温は最高19・4℃の好条件で、100㌔は完走326人で完走率72・8%、50㌔は180人で87・0%。完走率は昨年のそれぞれ69・5%、78・3%を大きく上回った。100㌔男子は昨年2位の川下和明さん(39=JF郷ノ浦)が地元に初優勝をもたらした。
川下さんにとって3度目の正直だった。長距離界のエースとして地元の期待を一身に背負って出場した一昨年の第1回大会は、初体験の100㌔レースの調整が判らずに、練習で追い込み過ぎてしまったことが祟って40㌔過ぎにリタイア。昨年は前半から飛ばして、80㌔地点まで後続に10分以上の差をつける独走態勢だったが、そこから足がつってしまい失速。トップから約35分差の2位に終わった。
それだけに3度目に賭ける意気込みは他の選手たちとは違った。「タイムよりも着順にこだわった。去年のようなことがないように、足への負担を最小限に抑える走りに徹した」今回は、50㌔の中間地点までは先頭を走る宮園太志さん(広島)から約2分遅れの2番手でじっと我慢した。「飛び出した選手のことをよく知らなかったが、私と一緒に走っていたのが彼と同じ広島の選手だったので、フルマラソンのタイムを聞いたら私の方が速かった。それなら何とかなるなと思っていた」と冷静に情報収集して対処した。
55㌔付近で先頭に立つと、あとは後続を徐々に引き離し、80㌔地点では2位に上がってきた差我部拓磨さん(大阪)に約2分差をつけた。「足のけいれん対策に、今年は十分な水分補給に加え、これまでは荷物を持たないで走っていたが、今年はエネルギー補給のゼリーとけいれん止めの錠剤を携帯した。それでもけいれんしかけたが、何とか最後まで我慢できた。途中で娘が前後との差を教えてくれたので、安心して走ることができた。地元の応援の声も励みになった。みんなのおかげです」。最後までペースは衰えず、2位に約8分差をつけた悲願のゴールテープは、5人の子どもと妻と手をつなぎ、家族一緒に切った。川下さんの壱岐ウルトラマラソンにかけた執念と、毎日の練習に快く送り出してくれるなど家族の協力で成し遂げた栄光のゴールだった。
7時間24分42秒のタイムは、昨年の自身の記録を1時間17分も更新し、過去2回の優勝タイムも大幅に上回る好記録。全国のウルトラマラソン大会との比較でも速く、コースの起伏を考えると日本トップレベルに迫るタイムだとも言える。今後は壱岐だけでなく全国の100㌔マラソンでの活躍も期待できるが「100㌔で一度は優勝することが目標だったので、もういいかな、という気持ちもある。来年どうするか、1年間じっくりと考えます」と川下さんは目標達成に満足した表情を浮かべた。