1日付で副市長に就任した笹原直記さん(39)に、地方創生人材支援制度に応募した経緯、壱岐市地方創生へ賭ける意気込みなどを聞いた。
――全国69自治体からの申し込みがあった中、壱岐市を選んだ理由は。
笹原 自分からの希望は一切、出さなかった。選定されたところへ行くことを決めていた。長崎に旅行をしたことはあったが、壱岐は赴任が決まってから初めて訪れたので、イメージできる部分もなかった。だがキューバの島から壱岐の島へ来たことには、不思議な縁を感じている。
――外務省職員でありながら、まったく異質と思える地方創生に興味を抱いた理由は。
笹原 まずは国家公務員として、総理が掲げている地方創生に取り組むことが重要だと考えた。
カナダのカルガリーにいた時に東日本大震災が発生し、カナダでその現状報告などの広報活動を行った。だが日本に戻ってボランティアで現地へ行き、ビニールハウスの補修や畑に散乱したガラスの除去などを行ったが、自分が現地に足を運んで得た情報と、そうではないカナダで受け取っていた情報には大きな差があった。自分の目で見る大切さを痛感した。日本の地方に住んだことがない人間が、海外で日本の情報発信を行っていることは無責任だと感じた。
また、地方に魅力を感じたという個人的な理由もあった。
――壱岐の創生策として具体的に考えていることは。
笹原 外務省での経験を活かし、壱岐焼酎や壱岐牛の海外への販売を行っていきたい。またキューバでの同僚など、最低百人は壱岐に呼び込みたい。
まだ壱岐に来て数日だが、それでも焼酎、食事、歴史、文化、自然など多くの壱岐の魅力に触れることができた。月讀神社はパワースポットとして多くの観光客で賑わっていた。魅力の潜在性とその将来性は確かなものがあると思っており、その素材を十分に活用していきたい。
市役所の職員は壱岐出身者がほとんどだが、私のように外国から日本を見ていた経験を、職員とうまく融合させていければ、新しい創生策が浮かんでくると思う。
――壱岐には家族5人での移住だが、今回の応募にご家族の反応は。
笹原 結婚後のカルガリー、キューバはともに家族で赴任してきた。今回は北は北海道のニセコから、南は沖縄の石垣島まで、マッチング次第でどこに住むのか判らない状況だったため、赴任先が決まってから家族で決めた。妻はインターネットでいろいろと調べて「私たちも行く」と言ってくれた。
まだ壱岐に住んで間もないが、3人の子どもたちは伸び伸びと暮らしている。自然がたくさんあり、わくわくしているようだ。キューバに比べれば生活に必要なものがすべて揃っているのだから、妻も何の不安もなく、これからの生活を楽しみにしているようだ。
家族を中心に、人に支えられていることに感謝の気持ちを忘れずに、だが人生は1回きりなのでやりたいことはやっていこうと思っている。