市議会の庁舎建設検討特別委員会が「庁舎建設は必要」との結論を出した。議員の意向は賛成11、反対3と、大きな差がついた。
これまで実施された市・議会の説明会・市民の声を聴く会はすべて取材した。市が実施したアンケート結果も、各説明会会場での意見発表も、「建設反対」が多数だったが、市長は「反対意見の大半は財政的な心配をしたものであって、それについては市民が納得できる説明をすることができる」として、「建設を決断」した。市議会も「合併特例債を使える時に建てることが最善の策」と、市民の大半の気持ちとは逆に見える意見をまとめた。
市長も、市議会議員も、市民が選挙で選出した。つまり市民の代表である。その人たちが判断した結果そのものについて、マスコミが口を差し挟むことではない。
ただ特別委の意向には何の拘束力もなく、あくまでも現時点での市議会の「意見」をまとめたものにすぎない。庁舎建設の賛否は市が議会に上程した議案ではなく、議会側は自ら特別委員会を設置して論じただけ。建設することに関して、市にも、議会にも、誰にも責任が生じていない。だからすっきりとしないのだ。
庁舎問題が論じられるようになってから、「判断した」「決断した」「必要だ」など、奥歯に物がはさまったような言葉のやり取りに終始している。慎重になることは大切だが、それは言葉遣いの問題ではないはずだ。
4日の特別委の席上で眞鍋陽晃総務部長が明言した「現4庁舎の耐震・寿命診断」を有言実行し、その結果が、例えば4庁舎とも10年以内に寿命を迎える、というのであれば、それを市民に示して判断を仰ぐ。それこそが慎重な施策だ。
その上で市民にとって、将来の壱岐市にとって、いま庁舎を建設することが必要であると判断したのなら、市は建設計画に関する予算案など関連議案を上程し、議会が議決すれば、すっきりとした気持ちで建設へ向けて動き出すことができるのではないだろうか。