私が二歳の時に弟が生まれました。その時は、自分に初めて兄弟ができてうれしかったです。しかし、二歳になってもしゃべらないし、歩けなかったので、不思議だなと思っていました。
そう弟は、障害をもっていたのです。生まれつき心臓が悪く、汗をかくことができない体質で、夏はエアコンの効いた部屋でのみ過ごしています。そのことを親に聞いた幼い頃の私は、理解ができませんでした。それと同時に、大きくなって幼稚園や学校に行けるのかなと、とても心配になりました。
三歳になるとやっと歩き始めました。その時は、歩けるようになってよかったと安心しました。
五歳になると幼稚園に通い始めました。私は、からかわれたり、いじめられたりしないかなととても心配でした。ちょうど私の通っていた小学校と弟が通っていた幼稚園は隣だったので、ある日の昼休み、様子を見に行ってみました。するとそこには友達と楽しそうに遊んでいる弟の姿がありました。そして、それは小学校に入学しても変わることはありませんでした。休み時間に弟の教室に遊びに行ったり、廊下で話しかけたりしている人を見ることがありました。弟は、いつもみんなの輪の中にいました。
また、毎年行われる港祭りや、運動会、学習発表会などの行事では、みんなと一緒に取り組んでいます。その姿を見ると「成長したな。」「すごく楽しそうだな。」と、とてもうれしい気持ちになります。
そんな弟も今年の春、六年生になりました。五月には、小学校最後の運動会が行われました。弟は、百メートル走、組み体操、綱引き応援合戦など、全ての種目に、生き生きと参加していました。その横には、温かいまなざしで、移動のたびに手を差し伸べてくれる同級生の姿がありました。そして、その姿を見守る地域の方々の温かなまなざしがありました。
「頑張れー。」
「あとちょっと。」
と応援してくださる方がたくさんいます。その声を聞くと弟は笑顔でゴールに向かって一生懸命走ります。
お弁当の時間に家族の元へ帰ってきた弟に私も
「速うなっち、かっこよかったたい。」
と声をかけると、うれしそうに笑っていました。
そして、学校行事の後には、見に来られていた地域の方が、
「足ん、はようなったね。」
「踊り、じょおいやったね。」
と、ほめてくださいます。弟の顔が益々輝きます。
こんな風に、弟は、家族や友達、地域の方々の温かいまなざしに包まれて、自分のペースで、一歩一歩成長しています。
そういえば、私自身もまわりの人の温かいまなざしに見守られて生きています。
「もう中学生たい。早かね。」
「ソフトん試合、惜しかったね。」
「どけいこい?」
明るい社会とは、「温かいまなざし」に包まれている社会だと思います。一人一人が、出会う全ての人に「温かいまなざし」で接していけば、明るく、温かな社会が実現できると思います。
「温かいまなざし」というバトンを次の人へ、また次の人へつないでいきませんか。「温かいまなざし」は、必ず自分に戻ってくるから。
(原文まま)