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昭和30年代の地図を手作り 賑いの様子を後世に、勝本町の鳥巣さん

昭和30年代の壱岐の街並みの様子がわかる地図を後世に残そうと、勝本町百合畑触の鳥巣修さん(79)が手作りして図書館などに寄贈している。
製作したきっかけは古希を迎えた平成28年、同級生と子どもの頃の街の賑いを振り返ろうと、地元鯨伏地区の地図を作った。図書館にある古地図や勝本町史を基礎資料にして、当時の街を知る人を中心に聞いて回り、資料にない情報は足で補い、地図の「精度」を高めていった。
地図には、街の中に映画館やタバコの収納場、牛舎があったことに加え、小中学校の移転や海の埋め立ては時期も記し、街の変化がわかるようにした。
鳥巣さんは地図を指差しながら「ここには芸者置屋さんもあって、温泉に行ったら芸者さんが調子取りながら歩いていた。ここには映画館もあった。タバコ収納場前には船着き場があって、タバコを積んだ船が出入りしていた。満潮の時には船が川をさかのぼっていた」と、思い出は尽きない。

「当時知る人がいるうちに」郷ノ浦の地図も

湯ノ本浦の地図製作から9年経った今年、郷ノ浦の本町周辺の地図を作った。
高校生の孫を送迎するために郷ノ浦を訪れていた鳥巣さんは、通りを歩く人や待ち合わせをする店が減った現状を感じていた。孫の世代も街を歩くことが減り「(壱岐の街を)よくわからなまま卒業することになる。当時を知る人たちが元気なうちに作らなければ」と、地図づくりを再開させた。
「当時は路線バスを中心に人が動いていた。今は自家用車で移動して店が郊外に移り、昭和50年代から買い物の流れが変わった」。手書きの地図には店が所狭し並び、壱岐の人口減少を浮彫にした。
取材を通して感じたのは寂しさという。賑わっていた自身の高校生時代と重ねるとなおさら募った。地図には「時には(当時を)思い出してもらって、街に寄ってほしい」との思いも込めた。郷ノ浦に続いて勝本浦、印通寺浦も作った。芦辺浦も製作中で近く完成予定という。これまで取材した人数は20人を超えた。
鳥巣さんは「ここにこんなのがあって賑やかだったんだよと子どもたちにも教えたい。これから今以上に少子化が高齢化が進み、街の様子も変わっていくと思われるが、これが30年代の街の様子が分かる1ページになれば」としている。

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