全国高校サッカー選手権で優勝6回を誇る伝統校、国見高校(雲仙市)3年でサッカー部の主将を務める。
物心ついたころからサッカーボールで遊んでいた。盈科小2年から壱岐少年サッカークラブに所属。6年生の時、県大会で長崎南山中サッカー部の監督から誘いを受け、夏休みに同校の練習に参加。サッカーのレベルが高く「上(の世界)を見られると思った」。春には同校を受験し、親元を離れて本格的にサッカーの道に進んだ。
南山中ではキーパー以外の全てのポジションをこなし経験を積んだ。高校への道は、小学生の頃、壱岐に仕事で赴任中だった国見高サッカー部OBと知り合っていた縁で声を掛けてもらい、さらに一歩、上のステージへ進んだ。
国見高に入った時、サッカー部にはA~C(現在はDまで)の3クラスのチームがあった。1年ではBチーム、2年の新人戦でAチームとしてピッチに立った。
そして3年の夏、「一か八か、お前に託す」。監督から主将に指名され、部員104人を引っ張る存在になった。
その半年ほど前、九州新人戦を控えた練習中に左足の小指を骨折し、一線から離れていた。だが、心は折れていなかった。「できることから手伝ってチームのために」。裏方からチームを支え、その努力がコーチ陣の目に留まっていた。その九州新人戦では目標だった14年ぶりの優勝を飾ることができた。
2年の頃、練習や試合の中で先輩の良いところも悪いところも見てきた。「もっと改善できるところがあるのではないか」。主将として、先輩ができていなかったミーティングを開き、練習1時間前にはひとり部室を掃除した。
昨年11月の選手権前にも右足をけがしたが、「自分が弱いところを見せるのは良くない。落ち込む時間はない。少しでもチームのプラスになるように声を出した」。いつもチームを優先に考えた。「自分は天才ではないので、誰よりも努力して〝なんぼ〟だと思っています」。常に前を向いている。
壱岐の子どもたちには「一つの目標に向かうと壁が出てくる。壁を超えるためには努力を続けることが大切。ほかのスポーツでも勉強も同じ。島の外を見て吸収することで自分の向上に繋がると思う」と経験を踏まえアドバイス。
すでに東海学園大学(名古屋市)への進学を決めており、さらにサッカーの道を進む。
「多くの人に支えていただいたので、ぶれずに頑張り、結果で恩返ししたい」と意気込む。尊敬する選手は国見高の先輩で、現在コンサドーレ札幌のJリーガー、中島大嘉選手。いつも自身に言い聞かせていることは「遊んでいる暇があったらサッカーしろ」。