昨年3月に原の辻遺跡北側で、国内で初めて見つかっていた馬形青銅製品は、弥生時代後期中頃(1世紀後葉~2世紀前半)に韓半島東南部の金海地域から対馬を経由してもたらされた可能性が高いことがわかった。
24日に一支国博物館で開かれた東アジア国際シンポジウムの関連講座で、県埋蔵文化財センターの白石渓冴主任文化財保護主事が説明した。発見当時、ほかに出土例なかったことから、年代や用途などは不明で謎に包まれていた。
白石主事は、縄文、弥生時代に日本列島に馬が棲息していた可能性が低いことや馬具の出土時期は4世紀末頃からであることから、この青銅製品は日本で作られたものではないと見て、中国大陸と韓半島の類例を調査。その大きさや胴体を貫く鉄の芯の痕跡などの特徴を糸口に産地の特定を進め、首を上部に持ち上げた形と後ろ脚の筋肉のふくらみが表現された特徴が似た馬形把頭飾(剣の柄頭の装飾)が出土している金海地域が産地の可能性が高いことがわかった。
また、同様の例は北部九州にはほとんど見られず、対馬で金海地域産の青銅器が集中して見つかっていることなどから、金海地域と対馬との日常的な交易によって、対馬を経由して原の辻遺跡にもたらされた可能性が高いことを示した。
さらに馬の腹部に鉄の芯があった形跡があることから、白石主事は「騎馬人物像だったと推測できる」とも述べた。
講座ではそのほか、全国高校生歴史フォーラムで優秀賞に選ばれた壱岐高校3年生の4人が研究論文を発表。最後に「職員の先生方の協力がなければ賞を得ることができなかったと思います。ありがとうございました」とお礼を述べた。