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朝鮮通信使船260年ぶり寄港 「友好の懸け橋に」復元船が勝本浦に

江戸時代に朝鮮国王が日本へ派遣した使節団「朝鮮通信使」を乗せた船を復元した木造船が9日、勝本港に来航した。
復元船は全長34・5㍍、149㌧。韓国の国立海洋遺産研究所が文献などを参考に建造し、朝鮮通信使が使った6隻のうち、最も位が高い正使が乗った「正使騎船」を原寸大で復元。9百本のマツの木を使うなど、エンジンを搭載していること以外は忠実に再現しているという。
朝鮮通信使は、慶長の役(1597~98)以降、途絶えた国交を回復するため、江戸幕府が通信使派遣の交渉を重ね実現。1607年から1811年までに12回、将軍の代替わりや世継ぎの誕生などを祝う使節として来日している。
壱岐にはそのうち11回目(1764年)までの往路、復路合わせて19回来島。今回の来島はそれ以来、260年ぶりで、船の乗組員6人を含め韓国から関係者20人が来島した。
当時、勝本浦には約2500坪にのぼる朝鮮通信使を迎える宿泊施設(迎接所)を構えてもてなした。その迎接所の平面見取り図は、勝本の鯨組「土肥家」に伝わる文書にあり、「朝鮮通信使迎接所絵図」として、ユネスコ「世界の記憶」の構成リストに搭載されている。
復元船は7月31日に釜山を出発。対馬を経て、目的地の下関に向かう途中に寄港した。
勝本港の岸壁で市が主催して入港セレモニーを開かれ、和太鼓集団風舞組が勇壮な演奏で歓迎。続いて篠原一生市長が「260年ぶりに朝鮮通信使の皆さんをお迎えでき、心より嬉しく思います。日韓の友好が末永く続くことを記念します」と述べた。
また、勝本浦まちづくり協議会の吉野弘一会長は「感慨深いのは1627年に私の祖先である壱岐の総代宮司で神職の吉野氏が国主の命で勝本に住居を置き、15代400年にわたり聖母宮宮司として、勝本の発展を見守ってきた。日本と韓国は政治的にも経済的にも良い関係にある。今回の交流が未来に繋ぐ友好の懸け橋となることを祈ります」と述べた。
釜山文化財団の李美蓮代表理事は「温かく迎えていただいた壱岐の方々に感謝します。壱岐は朝鮮通信使一行が11回訪問した主要な地域で、美しい自然景観と素晴らしいおもてなしに関する記録が多数残されています。私は初めて訪問したが、昔の通信使と同じく嬉しく思う。多様な交流が拡大することを願います」と述べた。
10、11日には復元船の一般公開も行われ、事前に申し込んだ市民が乗船。朝鮮通信使の歴史など紹介した船内の展示を見学したほか、船上では釜山芸術団の伝統楽器の演奏を鑑賞し、日韓の交流を深めた。
さらに勝本地区公民館では、朝鮮通信使をもてなした料理を、文献をもとに復元した料理も提供された。
船は16日、次の経由地、福岡県の相島へ向かった。

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