歴史・自然

元寇の痕跡求めて 壱岐高生が樋詰城跡を発掘

壱岐高校東アジア歴史・中国語コースの生徒18人が7月24~31日、勝本町新城東触の樋詰(ひのつめ)城跡で発掘調査を行った。
同コースは令和元年度から県立埋蔵文化財センターの指導を受けながら発掘調査を実施している。これまで定光寺前(芦辺町)や白沙八幡神社(石田町)の周辺を発掘調査し、壱岐の歴史の一端を解明してきた。今年は同センターが元寇の実態解明を目的に7月中旬から実施している調査に参加した。
樋詰城跡(現在は新城神社)周辺一帯は元寇・文永の役で戦場となった歴史がある。
1274年10月14日、壱岐に上陸した元軍約4百人を壱岐守護代の平景隆は百騎余りを従え、本陣の樋詰城から北西約1㌔にある唐人原で戦ったが、多勢を前に後退を余儀なくされて翌15日に樋詰城で自害したと伝えられている。
江戸時代末期に編纂された「壱岐名勝図誌」にもその一連の出来事や討ち死にした両軍の骨が掘り出されることがあったことが記されているが、これまで発掘調査は行われていなかった。
調査は樋詰城や元寇の痕跡を見つける目的で行われ、生徒たちは境内に設けられた5つの調査区のうち、神社本殿の西側(2×10㍍)と北側(1×4㍍)を発掘した。
そのうち西側の調査区では、境内外側から内側に向かって溝のような落ち込みがあることがわかった。深さは1・5㍍以上あり、その中からは元寇に直接関連したものは見つからなかったが、その落ち込みを埋めた土からは平安から室町時代の土師器や江戸時代以降のいぶし瓦、弥生時代の土器など幅広い時代の物が見つかり、この地が長きにわたり人に利用されていたことが推測された。
調査した同センターの白石渓冴主任文化財保護主事によると、壱岐名勝図誌にはこの地に「饅頭畑」が描かれており、新城神社が建立された明治19年の工事で、饅頭畑の土がその落ち込みを埋める盛り土に使われた可能性があるという。
参加した1年の須賀干城(たてき)さんは「皆で集中して掘り進めることができたと思う。元寇の痕跡は見つけることができなかったけど、掘り進める中で探究心が深まっていった。高校生で発掘できるのは人生の経験として貴重だと思う」と話した。

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