老衰のため2017年12月26日に死亡した、壱岐が生んだ名種雄牛「平茂晴」(当時19歳)の功績を称える顕彰碑が、芦辺町のJA壱岐市家畜市場の敷地内に建立され、16日に除幕式が行われた。平茂晴号の顕彰等身大銅像は昨年2月に、けい養されていた平戸市の県肉用牛改良センターに建立されていたが、生誕の地である壱岐市でも、そのもたらされた功績に対して感謝の意を捧げ、後世に継承するために顕彰碑を建立しようと壱岐地区顕彰碑交流設立実行委員会を昨年7月に発足。総工費470万円の2分の1を市、残りの2分の1をJA壱岐市と和牛生産者各戸が負担して完成した。
除幕式には実行委員長のJA壱岐市・川﨑裕司組合長、白川博一市長らが出席。一斉に幕をひくと、台座も含めて高さ2㍍17㌢、幅2㍍64㌢の御影石の顕彰碑が現れた。碑には平茂晴号の功績が刻まれ、遺影となる種雄牛時代の画像もプリントされた。
川﨑組合長は「類を見ないスーパー種雄牛で、長崎和牛・壱岐牛の肉質、増体など資質向上、壱岐の和牛生産のレベルアップに極めて大きな貢献をしてくれた。老衰で死亡する1週間前でも、運動中に精液採取場所に強く向かおうとしたと聞いている。生誕地である壱岐の大きな誇りになっている。顕彰碑で今後もその功績を称え続け、畜産振興に努力していくことを平茂晴号に誓いたい」と挨拶した。
平茂晴号は1998年3月23日に芦辺町の末永肇さんの牧場で生産。県有種雄牛候補として県に買い上げられ、01~02年に実施された間接検定(去勢産子8頭の平均値)で脂肪交雑基準値が4・0を記録。全国平均の2・6を大きく上回る成績を残した。
父は長崎県の糸桜系基幹種雄牛・糸晴美で、体の伸びが良く、深みに豊み、体積豊かで背線が強いなどの特徴から、供用当初から大きな期待が掛けられていた。
その産肉能力が全国に知れ渡ったのは、地元・長崎で2012年に開催された第10回全国和牛共進会。出品牛の多くを同牛の子、孫が占め、長崎牛が「すべての出品区で優等賞を受賞した上で、肉牛の部日本一(内閣総理大臣賞)を獲得」(川﨑組合長)という偉業を成し遂げる原動力となった。
凍結精液(主に1本7840円)の利用本数は、死亡時までに累計24万3731本と、本県歴代種雄牛の中で最も多く利用されており、誕生した子牛は登録されているだけで10万頭以上。未登録も数万頭いるものと考えられている。凍結精液はまだ数千本が保有されており、産子は少なくとも来年までは誕生する。県内には約8千頭の直子雌牛が繁殖牛として保留されている。
後継種雄牛として「茂晴23」(佐世保市生産)と「晴之国」(雲仙市生産)が県肉用牛改良センターで活躍中。また種雄牛候補として「晴太郎」「晴久」(ともに佐世保市生産)が検定を受けている。
県肉用牛改良センターの峰靖彦所長は「糸桜系の平茂晴の後継種雄牛は、センターにとっても貴重な存在。気高系には「金太郎3」(勝本町産)、「百合幸」(石田町産)という2大エースに加え、「勝乃幸」(平戸市産)、「隼勝忠」(芦辺町産)も控えている。但馬系には「弁慶3」(郷ノ浦町産)、「美津洋」(平戸市産)がいる。3元交配をさらに充実させていくためにも平茂晴号のより強力な後継が必要だ。今後の和牛生産は地域の特徴が重要になってくる。特徴があるからこそ、購買者はわざわざ壱岐まで買いに来てくれる。壱岐の和牛振興のためにも、壱岐から平茂晴号の後継種雄牛に誕生してもらいたい」と話した。
生産者の末永さんは「こんな立派な顕彰碑を建てて頂き、感謝の気持ちで一杯だ。平茂晴が生まれたのはもう20年以上も前になるが、幅、奥行きのあるとても立派な子牛だったことを憶えている。また平茂晴のような牛を生産したい」、川﨑組合長は「顕彰碑の横にはまだ十分なスペースがある。『金太郎3』をはじめ、今後もこの壱岐から名種雄牛を輩出して、和牛生産、肥育を盛り上げていきたい」と今後の抱負を語った。
除幕式後に壱岐の島ホールで行われた顕彰碑完成序幕記念第6回市肉用牛振興大会で、生産者の末永さんに功労者表彰、顕彰碑を制作した有限会社中山石材に感謝状が贈られ、大会では平茂晴号の功績を称えるとともに「繁殖牛7千頭の早期回復を目標に設定し、後継者の育つ環境づくりと夢ある肉用牛経営を目指し、部会員全員が英知を結集し邁進する」ことを決議した。