市教育委員会は9日、一支国博物館で、平成29年度カラカミ遺跡6次調査で発掘された文字線刻瓦質土器についての記者会見を行った。
今年度に市教委が実施したカラカミⅩ区の発掘調査で出土した2万7445点の遺物のうち、弥生時代後期(いまから約2000~1700年前)に製作された遼東系の瓦質土器(鉢)の破片に「周」の文字が線刻されていることが確認された。遼東半島からもたらされた鉢の瓦質土器は壱岐島で初めての発見例。瓦質土器に文字(漢字)が線刻されているのは国内初の発見例だった。発見された破片は縦7・5㌢、長さ8・8㌢、厚さ0・4㌢で、鉢の側面部分。「周」の文字は約半分が欠落しているものの、文字を読み取ることができる。鉢の一部で復元した本体の大きさは口径23・0㌢、底径12・8㌢、器高7・7㌢。胴部に見られる湾曲するラインから遼東系と判明した。
市文化財課の松見裕二係長は遼東系土器の発掘について「同様の鉢は遼東半島にある遼寧省の発掘調査で出土しており、カラカミ遺跡の交流ネットワークが朝鮮半島の楽浪エリアに留まらず、中国大陸の遼東エリアまで広がっていることが新たに判明した。東アジア社会におけるカラカミ遺跡の役割、一支国における対外交流の歴史を解明する上で貴重な発見だ」と話した。
また線刻文字については「倭人にとって文字社会のない弥生時代において、国内に文字が存在していたことを裏付ける資料として価値がある。それだけ渡来人が多く入って来ていた可能性が高い。弥生時代の硯(すずり)、鏡からも文字は発見されているが、明らかな文字としては国内で発見された最古級のものと考えられる。魏志倭人伝に『周』のつく名前が登場しているので、おそらく土器に自分の名前を彫ったのではないかと思われるが、壱岐で彫ったものか、中国で彫った後に持ち込まれたものかは不明。焼成後に鋭利な金属の工具で彫ったと思われる」と説明した。
この土器は、一支国博物館で開催中の「謎につつまれた弥生遺跡『カラカミ遺跡』展」(3階多目的交流室)で、2月25日まで特別公開されている。