前回に続いて「開かれた議会」について提言したい。
議会に限らず、会議の「公開」とは、そのすべてを一般市民に対して明らかにすることである。市議会のような中継がない限り、会議の傍聴を市民が行うことが難しいため、マスコミが市民を代表して取材し、その内容を伝えることになる。
ところが壱岐市では、会議によって資料がマスコミに配布されないことがある。先日開催された航路対策協議会もそうだった。九州郵船が提出した航路別収支に関する資料は委員だけに配布され、しかも会議後に回収された。その資料に基づいた説明は公開されていても、資料がなければ内容について正確な報道ができない。これでは「公開」とは言えない。
外部には出すことができない資料に基づいた会議もあることは理解しているが、それなら表面的に「公開」を繕うべきではない。「会社の経営に関するので非公開とする」と説明し、マスコミを外に出して、公開の議題からは外して密室で行えば良いことだ。
議会のハイライトは一般質問だろう。議員と市長ら市執行部との丁々発止のやり取りは、壱岐市をどのような方向へ導いていくのか、大きな興味を抱いてテレビ中継を観ている市民も多いだろう。だがこの丁々発止は「再質問」に関してのみで、当初の質問は市執行部に事前通告されているため、議員は通告書を、執行部は事前に用意した答弁書を読んでいる。
人間は文章を読む時に、どうしても自己満足になる。間違いないように読んで、自分が理解できれば良いと思ってしまいがちで、早口になる。聴いている市民の顔が浮かんでいないのだ。市民に伝わらなければ「質問」「答弁」ではない。
答弁を事前に配布することは議会の本質から外れるために不可能だが、それならば答弁書を見ていない市民がすべてを理解できるように、フリップやパワーボイントを使用するなどした上で、ゆっくり書き砕くようにと読むことが求められる。誰もが理解できてこその「開かれた議会」だ。