「令和ゆかりの地・壱岐『万葉公園50周年記念イベント』」が17日、石田町の万葉公園で開かれ、東京、大阪などからのツアー客ら約百人が参加した。
新元号「令和」の典拠となった万葉集の「梅花の歌」は、大宰府長官・大伴旅人の邸宅で開催された宴で詠まれたが、その宴には壱岐島から壱岐守板氏安麻呂と壱岐目村氏彼方の2人が参加していた。
また万葉集には天平8年(736年)に遣新羅使一行が詠んだ145首も収められているが、その1人である雪連宅満の祖先は壱岐出身で、宅満は新羅に向かう途中、石田町の印通寺地区で病死し、町内に葬られた。万葉集には宅満の死を偲んだ歌「石田野に 宿りするきみ 家人の いづらとわれを 問はばいかに言わむ」があり、この歌碑が建立された万葉公園が明治100年を記念して1969年に整備された。
その万葉公園が開園50周年を迎えたことと、新元号「令和」を記念して、奈良・犬養万葉記念館の岡本三千代館長を招いた万葉講話、天平衣装を身にまとった大宰府万葉会の会員による歌語り、地元参加者による短歌創作コンテストが行われた。
岡本館長は「私の師匠である故・犬養孝先生は、万葉の歌を集めるために何度も壱岐を訪れた。私は大学時代以来四十数年ぶりだが、遣新羅使が長い旅の途中で立ち寄り、この石田の丘から九州本土を眺め、これから向かう新羅へ様々な思いを抱いた場所に再び立てたことが感慨深い」とステージから馬渡島や唐津の景色を見ながら歌を詠んだ。
さらに「遣新羅使の歌には壱岐のことを詠っているものがあるし、万葉公園には立派な歌碑がある。勝本町のサンドーム前には村氏彼方が梅花の宴で詠んだ歌の歌碑もある。万葉集にとって極めて貴重な場所であり、大宰府同様に注目を集めて良いはず。今年9月に『万葉集を歩く~犬養孝がたずねた風景』(富田敏子・山内英正著=平凡社)が発刊され、壱岐のことも書かれているので、まずは地元の人たちに壱岐と万葉集の関係を知ってもらいたい」と話した。
短歌創作コンテストには地元の7人が参加。「旅」「望郷」「秋の景色」の兼題で作品を披露し、最優秀賞には芦辺町の久保田律子さん(74)が詠んだ「石田野の 丘に眠れる旅人の 夢は越えなむ 玄界灘を」が選ばれ、壱岐牛セットの賞品が贈られた。
久保田さんは「過酷な旅の途中の石田で宅満が亡くなり、宅満を偲ぶ遣新羅使の人たちは、目の前に広がる玄界灘を見て、故郷に帰りたいと思っていたことだろうな、と想像して詠んだ。短歌を始めたのは10年程前からで、まだ先輩たちに教えてもらうことばかり、勉強することばかりだが、この場所で歌を詠んで拍手を頂けたことに感激している」と話した。