第2回壱岐ウルトラマラソン(同実行委員会主催、レオパレス21特別協賛)が21日、壱岐島一周特設コースで開催され、100㌔に361人(男318、女43)、50㌔に248人(男183、女65)、昨年より54人多い計609人が出場した。昨年は28・3℃を記録する季節外れの高温が選手を苦しめたが、今年は超大型台風21号の接近により最大瞬間風速19㍍を記録する強風の中でのレースとなった。それでも完走率は、100㌔が69・5%(昨年48%)、50㌔が78・3%(同54%)と大きく上昇した。男子100㌔はウルトラマラソン初挑戦の水田佑一さん(38=福岡)が8時間16分20秒で優勝。地元の川下和明さん(38=郷ノ浦町漁協)が8時間41分15秒で2位に入った。
100㌔は、まだ真っ暗な早朝午前5時にスタート。昨年は完走率が5割を割った「日本一過酷なウルトラマラソン」として強烈な印象を植え付け、さらに台風の影響で強風が吹き荒れる中でのレースで、多くの選手は慎重なスタートを切って行った。だが水田さん、川下さん、3位に入った植嶋玄さん(22=福岡)の3人は、コースや天候に惑わされることなく、自分たちの練習の成果を信じてスタートから飛び出した。
4位以下を引き離した3人の並走は、中間点の壱岐島開発総合センターでも変わらず、左京鼻へ向かう55㌔地点まで続いた。この八幡半島で飛び出したのがコースを知り尽くしている地元の川下さんだった。「スパートしたわけではなく、自分のペースで走っていたら2人がついて来なかった」。みるみると差が開き、小島神社を横目に走る内海湾では、2位に10分近い大差をつけて独走態勢になっていた。
県下一周駅伝など、これまで壱岐の長距離界を常にけん引してきた川下さんだが、昨年の第1回はオーバーペースと調整の失敗により40㌔手前でリタイアした。地元の大会でのその悔しさをバネに、今年は月千㌔を走り込み、体重も3㌔絞って、リベンジに燃えていた。ペースも昨年の1㌔4分10秒から4分30秒に抑え、万全を期した。
80㌔付近までその独走が続いたが、やはり壱岐のコースは魔物だった。「強風に耐えながら走っていたせいなのか、これまでにつったことがない尻から下が全部つってしまった」。80㌔地点からの8㌔は歩くことになり、その間に水田さんに抜かれた。残り12㌔で再び走り出したが、2位を確保するのが精一杯だった。「残念だったが、これが壱岐ウルトラマラソンの難しさ。でも自分が2位になれたことで、ウルトラの経験がない壱岐のランナーでも100㌔で戦えることを示すことができた。みんなの自信になってくれれば嬉しい。来年こそは優勝を目指します」と上を向いた。
リベンジに燃えてひたむきに走り続けた川下さんに対し、水田さんはレース中も常に笑顔だった。カメラを向けるとポーズをつける余裕も見せた。「レースを楽しまないとバテるから。沿道の応援が本当に温かかったし、景色も素晴らしかった。1位になるなんてまったく考えていなかったが、前半の1㌔4分半から、足がつった後半も1㌔5分~5分半のペースを崩さなかったら、いつの間にかトップに立っていた。最後の坂は苦しくて、本当は歩きたかったけれど、優勝者が歩いていたと言われるのは格好悪いので、頑張って走り続けました」と優勝者インタビューではレース中以上の笑顔を見せた。
職業は内科医師。「フルマラソンも一昨年に初めて経験したばかりだし、忙しくてなかなか練習ができないが、一度は100㌔を走ってみたかった。この厳しいコースは下見をしていたら、坂ばかりで嫌になっていたかも」と、職業柄の万全な体調管理、ぶっつけで本番の無欲さ、そして走ることを心から楽しむ精神力で栄光をつかんだ。