★バレーボール成年男子
山川 賢祐選手
‐いよいよ長崎国体が迫ってきた。
▽山川 下手な試合はできない、優勝しないといけないというプレッシャーはありますね。
‐県代表チームはいつ頃から合同練習をスタートさせるのか。
▽山川 長崎では教員チームが年間を通して活動しているので、そこが母体となって、召集する大学生、実業団の選手が決まったら合同練習に入ります。昨年の東京大会は7月から練習に入ったのですが、僕は直前になって出られない選手が出て、急に召集されたので、やや準備不足だったかもしれません。今年は5~6月には召集されると思いますし、地元開催で九州予選が免除されるので、準備期間は十分にあると思います。
‐その東京国体は1回戦での敗退だったが、相手は準優勝した広島で、1セット目を先取する健闘だった。
▽山川 強かったです。2セット目が28‐30で落としたのが悔しかったですね。あの接戦を取っておけば、とは思います。もっとレベルを高めていかなければなりませんが、今回は優勝できる可能性があると思っています。少年男子は後輩の大村工、少年女子は九州文化が頑張ってくれるはずで、総合優勝を狙っています。
‐武生水中からバレーの名門・大村工に進んで、ずいぶんと苦労したのでは。
▽山川 寂しさはなかったですね。そんなことを考える余裕がないほど、練習がキツかったし、すべて自分でやらなければならないので生活も大変でした。部員が60人もいて、まったく無名だったので最初は1軍に入れなかったのですが、ラッキーなことがありました。GWに1軍が遠征している時、居残り組の練習をたまたま先輩の朝長孝介さん(北京五輪のセッター)が見に来て、僕に注目してくれたのです。監督にも推薦してもらい、そのおかげて1年生からレギュラーになれました。
‐身長183㌢は、一般からすれば高いが、バレーボール界では低い方なのでは。
▽山川 中学時代はブロックの上から打ち抜いていましたが、いまはそうはいかない。でも、わざとブロックに当ててアウトを狙うなど、技術を高めています。
‐離島出身のハンデを感じたことはないか。
▽山川 自信を持ってやっていけば、ハンデなんて感じないのでは。僕が大村工に進んだことで、1年下の石田中だった横山與も入ってきて、道を開いたのかな、という気持ちはあります。
‐山川さんも将来は教員志望。
▽山川 中学の体育教員を目指しています。なかなか採用がないのですが、ぜひ壱岐に戻って教員をしたいと思っています。