今年3月に本市で離島留学生の男子生徒が亡くなり、それを受けて立ち上げられた県の「これからの離島留学検討委員会」の最終会合が3日に開かれ、報告書をまとめた。どんなに徹底して原因を究明しても、対策を講じても、失ってしまった大切な命はもう戻って来ない。月並みな言い方になってしまうが、同じことを繰り返さないことしか、私たちにはできない。
今回、この事案が全国的に知られるようになったのは週刊誌報道によるものだった。ある雑誌が、いまは別の里親宅で暮らしている離島留学生を取材。以前に亡くなった生徒と同じ里親宅で過ごしていた体験を証言し、「この里親の対応に問題があった」と厳しく追及した。
一方で別の雑誌は里親本人、実親、里親周辺などの取材から「問題はなかった」と擁護。この2誌の「争い」に、政治家、市民団体が加わり、かつての離島留学生やその保護者、一般市民もSNSで自分の意見を公開。中には明らかな間違いや誹謗中傷もあり、収拾がつかなくなっていた。
当然、それを見ている留学生本人や保護者も心穏やかではいられなかったはずだ。県がこのような委員会をすぐに立ち上げたのも、子どもたちの精神面も考え、これらの外部の騒ぎが無視できないものになっていたからだろう。
委員会の報告が発表されても納得できない人はいるだろうが、離島留学制度に県がこれまで以上に真剣に向き合っていけば、留学生にとってより安心安全な環境で青春時代を島で過ごすことができる。まずは県の改革策を見守りたい。
一方、壱岐市のいきっこ留学制度は、この報告を受けて今後改善策を議論する。目的は「制度を持続可能なものにするため」だが、市には様々な事情を抱える全国の小・中学生をしっかりと受け入れる覚悟と体制が整っているのか、受け入れることで市が得るものがどの程度なのか。廃止も含めてしっかりと議論し、シビアに判断していく必要があるのではないだろうか。