市議会9月会議から議場でのタブレット端末の使用と、ユーストリームでのインターネット中継がスタートした。ともに試験的な導入であり、本格的な活用にはクリアしなければならない問題点もあるが、「開かれた議会」を標榜する壱岐市議会にとって、大きな前進であることは間違いない。
市議の中にはデジタル機器の取り扱いに慣れていない年齢層の人もいるが、次代を担う壱岐の若者が市政に興味を持ってもらうために、「六十の手習い」としてぜひ懸命に取り組んでもらいたい。
だが若者に市議会への興味を奮起させるためには、議会の悪しき伝統にもメスを入れなければならない。タブレットで議案書が手元に届くようになったとしても、議会特有の変な日本語は到底理解してもらえない。
例えば9月議会で上程された議案第58号は「壱岐市家庭的保育事業等の設備及び運営に関する基準を定める条例の制定について」。自宅などで主に3歳児未満の児童を預かる、いわゆる保育ママ制度の基準を定める重要な議案なのだが、その提案理由として書かれている説明は、役所言葉に慣れている新聞記者でもうんざりするものだった。
「子ども・子育て支援法及び就学前の子どもに関する教育、保育等総合的な提供の推進に関する法律の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律による児童福祉法の改正に伴い家庭的保育事業等の設備及び運営に関する基準を定めるものである」。
いったい、いくつ「法律」が出てくるんだ、と突っ込みたくなる。役所的には間違いのない正確な表記なのだろうが、市民に理解できない文章は、説明されていないのと同じことである。国会も含めて全国の多くの議会が似たような文章、言葉があふれているが、だからといって壱岐市もそれに倣っていたのでは、「開かれた議会」は看板倒れだ。
子ども議会の時のように、中学生でも理解できる文章、言葉で討論することが、議会の基本であるべきだ。