「危機管理能力」が問われる時代になっている。情報通信が急激に発展し、これまでは秘匿できていた企業や行政の情報を、報道機関はもちろん、一般市民でも入手できるようになってきた。SNSを通して誰もが情報発信者になり、スマホの普及で写真撮影、動画撮影、音声録音も瞬時に行えるようになった。すべての行動が監視され、記録され、ネット上に広がる可能性も十分にある。従来の危機管理では対応しきれなくなっている。
ネット上などでは、激しい非難や、特定の人をおとしめることを、まるで生きがいにしているのではないかと思われるような記事、書き込みも見られる。根拠のないうわさ話の類であっても、それが拡大していくと信じる人も出てくる。便利であることも、嫌なこともあるが、否応なくその情報化時代の到来は、もはや避けられないものになっている。「何とかごまかそう」とうそを言ったり、対応を遅らせることが最悪の結果を招いている。政治の世界ではいまだにくすぶる「もり・かけ問題」がその典型だし、芸能界ではベッキー問題が世間を騒がせた。日大アメフト部、至学館大学レスリング部などスポーツの世界でも、当初の対応の誤りが大きなイメージ失墜を招いている例は多い。
「警察の捜査中なので」「裁判を控えており」などの理由で、記者会見で詳細を述べないことがあるが、原告と被告の事実関係の認定が大きく異なっているケースや、関係者しか知らない情報を公言することは捜査、公判の妨げになることがあるが、そのようなケースばかりではない。説明を控えることは、どうしても「逃げている」印象に映ってしまうものだ。
公人や行政は、市民に少しでも疑問点を感じさせる事柄があったら、包み隠さずすべてを判りやすく説明し、都合の悪いことこそ敢えて明らかにし、本音をさらけ出すことの方がダメージが少ない、優れた危機管理なのではないだろうか。