離島甲子園から甲子園へ。昨年8月に市内で開催された国土交通大臣杯全国離島交流中学生野球大会(通称・離島甲子園)で見事に優勝を果たした壱岐市選抜チームのエース土谷一志投手(郷ノ浦中3年)と、小畑翔大主将(石田中3年)が、4月から揃って長崎海星高校へ進学することが決まった。同校野球部は甲子園に夏16度、春4度の出場を誇る名門で、1976年夏は壱岐市出身の「怪物サッシー」こと酒井圭一投手を擁してベスト4進出を果たした。壱岐とも縁の深い名門校で、離島甲子園優勝の立役者2人が、今度は全国高校の頂点を目指す。
離島甲子園の大会全5試合に先発し、計23回1/3を8安打2失点(自責点1)という驚異的な投球を見せ、大会MVPにも輝いた土谷のもとには、大会終了後に多くの高校からオフォーが来ていたが、土谷は当初から海星進学を心では決めていた。「3年前、小学6年生の時に夏の甲子園を見て、ずっと海星に憧れていたのです」。
8月末に参加した練習体験で、あこがれのチームに初めて触れて、決断した。「選手1人1人が自分を持っている、という印象が強かったです。みんなで声を掛け合う雰囲気もすごく良かったです」。壱岐から進学している先輩がいることも、新生活を迎えるに当たって心強い材料となった。
離島甲子園後に郷ノ浦中の野球部は引退し、いまは週末に旧鯨伏中グラウンドで開催されている野球塾で、硬球を使って練習している。「高校の練習はすごく厳しいと思いますが、しっかりとついていき、ビンチの時には闘志を前面に出して、ナインに頼られるような投手になりたい」と4月の入部へ向けて地道な練習を続けている。
目標はもちろん甲子園。「がむしゃらにやって、1年生からエースになれるように頑張りたい」と早くも今夏の甲子園を夢見ている。
土谷とともに野球塾で練習をしている小畑も、思いは同じだ。離島甲子園では大会前から「必ずテッペンを獲る」と宣言してチームを鼓舞し、主将として見事にチームをまとめ上げ、有言実行を果たした。大会では熱中症を起こしかけていた土谷が苦しんだ準決勝で3安打を放ち、セカンドから何度も声をかけて、土谷のピンチを救った。その統率力、リーダーシップは高校野球でも大いに求められる。
「必死に練習をして、2年生になってベンチ入りをし、3年生で試合に出る。コツコツと目標へ向けてやっていきます」と努力家の小畑らしく決意を語った。海星野球部は70人前後の部員がおり、附属の海星中学は全国大会で優勝を争う強豪。さらに全国から越境入学する球児も多く、レギュラー争奪戦が厳しいことを小畑は十分に理解している。その古豪で、内野のキーマンとして土谷とともに高校野球のテッペンを目指す決意は揺るぎない。
◆海星高校野球部 1915年創部。甲子園成績は夏は通算10勝15敗。春は0勝4敗。最高成績は1976年夏のベスト4。2011年夏に9年ぶりに出場し、2回戦(初戦)で東洋大姫路(兵庫)に0‐4で敗退した。13年シーズン県大会の成績は、NHK杯で創成館を破って優勝。夏季は準決勝で佐世保実に2‐4で敗退。秋季は2回戦で大村工に敗れた。主な出身プロ野球選手に平田勝男(元阪神)、堀幸一(元ロッテ)、松永浩典(西武)、永江恭平(西武)がいる。三重県の海星高校と区別するため、高校野球では「長崎海星」と表記される。
◆酒井圭一投手 1951年芦辺町生まれ。田河中学から海星に進学し、3年夏の県大会で全5試合37回無失点、被安打はわずかに4。16連続奪三振、ノーヒットノーラン2回などの記録を樹立。甲子園でもチームをベスト4進出に導き、準決勝でPL学園(大阪)に延長11回、2‐3で敗退した。その剛球とタフネスぶりから「怪物サッシー」と呼ばれた。ドラフト1位でヤクルトに入団したが故障に悩まされ、通算成績は13年間で6勝12敗4セーブ。現在はヤクルトのスカウトを務めている。