社説

社説・新聞とは何か、改めて考える

新年を迎え、改めて「新聞とは、報道とは何か」を自身に問いかけている。これまで35年以上の新聞業界に身を置いているが、その答えを導き出すことはまだできていない。
「報道の役割は権力者の監視」と言われることがある。確かに重要な役割の一つで、報道の目があることで不正を思い止まる権力者がいるかもしれないが、本来それは警察・検察や倫理委員会のような存在が行うべきもの。捜査権のない報道機関が正しい監視を行うのは難しい。警察発表をそのまま記事にして間違える例もある。
他紙を読んでいると、ずいぶんと上から目線で書かれた記事を目にする。自分たちは正しいと思い込んでいるのかもしれないが、新聞記者がそれほど偉いはずはない。総理大臣を批判するのであれば、少なくとも総理より勉強しなくてはならないし、政策への批判はそれを専門とする官僚、役人よりも豊富な知識がなければできない。
大手新聞の専門記者の一部にはそんな知識を持つ人がわずかにいるかもしれないが、複数の分野を抱えている地方紙の記者には難しい。知識もないのに批判記事を書くのは、インターネットの書き込みと似たようなものになりかねない。
「新聞社としての意見は必要だ」と言う人もいるが、これも簡単ではない。例えばカジノ法案に対しギャンブル依存症を理由に反対するのなら、その新聞は公営競技などの膨大な広告を一切断り、出走表も結果も載せないようにしなければ、整合性が取れない。いくら新聞も商売だとは言っても、広告と記事は別物というのでは、読者は納得しない。
政策に反映されていない一部の意見を取り上げることも必要だが、全体の数%程度の意見を大きく報じることが公平とも言えない。選挙結果にも結び付いている国民の過半数の意見に敬意を持つことも必要だ。
あくまでも最終判断は読者に委ね、その材料をあらゆる面から提供していくことが新聞本来の役割だと信じ、今後も新聞制作に取り組んでいきたい。

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